こんにちは、腸活・食べる美容アドバイザーのnoriです。
今日から、私の17年にわたる関節リウマチとの向き合い方をシリーズで綴っていきます。
第一章は「突然の痛みと診断の告知」。私の体験が、同じ悩みを抱える方の希望と力になれば嬉しいです。
2008年3月、37歳の私は突然、足の激痛に襲われました。歩くこともままならず、その痛みは手へと移り…まさか自分が関節リウマチになるとは思ってもいませんでした。
あの日から始まった17年の闘い──西洋医学、自然療法、栄養療法、そして今。これは私の実体験記、第1章「突然の痛みと診断の告知」です。
同じ悩みを抱える方へ、少しでも希望と知恵を届けられればと思い綴ります。
あの日から始まった痛み——2008年3月の出来事
今から17年前の2008年3月。
今でも、あの時の痛みと不安をはっきりと覚えています。
仕事と子育てに追われる日々の中で
当時の私は37歳。
小学生の娘を育てるシングルマザーであり、エステサロンを経営していました。
仕事も子育ても、全力で走り続ける毎日。
自分の体を労わる余裕などなく、「頑張らないと生活が立ち行かない」という不安が、日々の支えでもあり重荷でもありました。
突然の激痛と、最初の受診
そんなある寒い3月の朝、
足の裏に激痛が走りました。
歩くたびに電気が走るような痛み。
けれど数時間すると治まってしまうので、
「きっと疲れがたまっているだけ」と、そのまま仕事に出ました。
再発する痛みと整骨院での対応
しかし数日後、また同じ痛み。
その後は、足だけでなく手の指や手首まで痛み出し、
治っては再発する——を何度も繰り返しました。
最初は外反母趾のような症状に思えたため、
知り合いの紹介で整骨院を訪ね、ぐるぐるとテーピングをしてもらいました。
けれど改善する気配はなく、
靴を履くのもつらくなっていきました。
決定的な痛み——整形外科への受診
そして発症から1ヶ月ほど経った4月の終わり、
とうとう手の指と手首が腫れ上がり、我慢できないほどの激痛に。
ようやく、家の近くの総合病院の整形外科を受診しました。
診察の後、医師が静かに言いました。
「関節リウマチの可能性があります。血液検査をしておきましょう。」
「関節リウマチ」の診断の可能性
関節リウマチ?
おばあちゃんがなる病気じゃないの?
まさか、私が?
あまりに想定外の言葉に、頭の中が真っ白になりました。
家に帰ってすぐ、パソコンで「関節リウマチ」と検索。
出てくる情報はどれも絶望的で、
“治らない病気”という現実がじわじわと胸を締めつけました。
信じたくない気持ちと、怖くて調べずにはいられない気持ちの間で揺れていました。
診断確定への道——リウマチ科での告知
数日後、血液検査の結果を聞くため再び病院へ。
整形外科の先生は険しい表情で言いました。
「数値が悪く、関節リウマチの可能性が高いです。リウマチ科に回しますね。」
リウマチ科の診察室は薄暗く、パソコンの光だけがぼんやりと照らしていました。
担当の女医先生が、画面を見つめたまま静かに言いました。
「関節リウマチの可能性が高いです。」
「可能性が高いって、違う結果になることもありますか?」
そう尋ねた私に、先生は淡々と答えました。
「この数値ならほぼ確定です。1ヶ月後に再度検査をして、正式に診断を確定します。」
涙と小さな手——私が願った未来
「治る可能性はありますか?」
最後の望みをかけて聞いた私に返ってきたのは、冷たい現実でした。
「いえ、一生治りません。」
その瞬間、目の前が滲みました。
涙が止まらず、診察室の空気が遠く感じました。
私の隣には、小学6年生の娘がいました。
小さな手をぎゅっと握りながら、
心の中でただひとつ願いました——
どうか、歩ける未来を失いませんように。
関節リウマチの診断は、突然訪れるものでした。私自身、その痛みと不安を今でも忘れることはできません。この記事では、発症当時の状況と診断までの経緯をご紹介しました。
今後、この体験を通して得た学びと対策をシリーズで綴っていきます。関節リウマチや自己免疫疾患と向き合うすべての方へ、少しでも希望と気づきをお届けできれば幸いです。
📍私の関節リウマチ記録シリーズは第2章へ続きます。漢方・食事・酵素栄養学で闘った9年間の記録はこちら↓
